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知らないことは怖いことですが知ろうとしないことはもっと怖いですよ。招かざる訪問者、知らないうちに隣にいたなんてことでは防ぎようがありません。
それが今のご時世!多くの人が右往左往するばかりです。
だからこそ
極小なれど偉人は偉人。できさえすればそこそこエライ?のです!
そりゃ9分9厘は大丈夫だ。残る1厘は運。
わけ?そのうち分かります。 |
それしか道がない!選択肢が一つしかないのはいいことです。あれこれ考えなくていいですから。それに私はいささか運が強い。小さい運に好かれるのです。私が運様の好みを大事にするからです。
運様は「人となり」を見ます。
私と運様の関係?愛憎混淆ですね。辛抱比べ。 |
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目標や夢は大あり小ありで人さまざまですが、身の丈に合ったものでないといけません。なるならないは相応の能力と運ですね。どちらが欠けても難しそうです。成功した人は必ず言います。「私は運が良かった」 |
人力や知力ではどうにもならないのが運です。運がいいというのはそういう事態に遭遇しないこと。何かを人力や知力で成就できることです。
力も知力もない時には運頼み、しかし運はこれを嫌います。同じ結果でも、それが幸運であった人と努力の結果だった人がいる。あなたは? |
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これが1分でできればあなたは時給生活の有資格者です。
最後の砦の運だめし、遊び心でどうぞ。
あなたの思考回路のチェック!2月8日加筆 問題はこちら |
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芸は身を助けるといいます。その芸がないとおっしゃる方へ、そこそこ暮らす道ならこんなことでも…
あまり自慢にはなりませんが、的中コード小粒ながら、私が思うにはこれも一芸。
これで飯が食えるかどうかはその人の適性の有無次第ですが、暮らし向きの如何にかかわらず思考回路の改善は大い
に期待できます。それが手ぶらで楽しめるだけでも儲けもの。どんなひとも回路のねじが錆びついてはおもしろくありません。
私のように体力に制限のある方、そのほかいろいろ働き方に問題や困難がある方には特に一考の価値ありです。
「お金ではなく頭を使う」これが下流の中流の最後の戦術です。ちなみに私はほぼ無年金、でも大丈夫!死ぬまで仕事です。 |
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運と小銭 下流の生業 小世界
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2月20日のボチそこ |
仕事場は尼崎 |
今日から4日間の仕事場は尼崎です。12時15分から。
4回目のトライヤルで成功しました。的中コードは2S-122収穫は25,980でした。2Sですからこれは誰でもできたでしょう。3時間みっちり働きましたが初日だけにこれは大きい成果でした。 |
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●経過と結果の詳細は学習室で
●1月のボチそこ
●2月のボチそこ
●ある日の仕事ぶり
お暇な方はご覧ください。
●こんな仕事はやめとこう |
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2月21日のボチそこ |
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5回目でうまくいきました。的中コードはAK4-223 収穫は42040 です。ここは的中コードにこだわった人は必ずうまくいく見本でした。ぜひ学習室でご覧ください。
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2月22日のボチそこ |
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昨日うまくいきすぎた。好事魔多し
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2/20
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◎ |
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23 |
中止 |
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やはり今節は好調です。
3度目の仕事でドンピシャ!
的中コード2.5S-233
収穫は23600でした。
節間の収穫目標80000を確保しましたので明日の
ライブは取りやめます。これがボチボチ仕事の真骨頂!
今日の実戦ライブの結果転載 14時30分以降 |
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ここでご訪問御礼にかえて心づくし、一服の懐古的な清涼剤を |
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と、まぁこんな出だしはどうですか、ひょっとすると何かの大先生のサイトかもしれないなんて錯覚に陥るお客様が
おられるかも知れませんね。「そんな人はいない」とおっしゃるならそれまでですが皆無ではないことに期待を込め
て、先に進みます。ただこのサイトはあくまで作者の自己学習の場ですので、ひとさまにお目にかけることが第一義
ではありません。そのため分かりにくい部分があると思います。御了承いただければ先へどうぞ。 |
このサイト、目的は?と聞かれたら、私の生業についての学習あれこれが中心、常に仕事ぶりを反省しそこそこのニコヨン的時給自足生活を目指すためとお答えしましょう。何しろ過少年金のため死ぬまで仕事という十字架を背負っていますからそこそこの確実な収入が必要です。その結果多くの部分は仕事に関する自問自答の形になります。
言行一致と考行一致のための踏み絵です。何をするにも基本が大切です。仕事するにあたっても基本的な対応があります。これに従っている限り時々の結果の良否は問題ではありませんが、これに反した時には結果の善し悪しなどは論外です。違背したことを厳しく戒めなければなりません。感情の起伏とか瞬間の判断ミスや計算違いなど原因はいろいろありますが、これを許してはいけません。それには文字にして経緯を残すのが最も効果的なことを経験で知りました。
このサイト作成は私自身のため、ひとさまに見ていただくのが第一義ではありませんというのはここからきます。
ハイテクならぬローテク(正しくは老テク?)を苦使、時に億劫になることもありますがこれも学習です。加えて思考力や記憶力の減退防止にも有益と考えています。続けるのには困難なこともありますが多かれ少なかれお客様がいらっしゃればプレーヤーはいいプレイを心がけるもの、その意味でお客様は大変貴重な皆様です。ここでのいいプレイとは仕事における私の手法とそれに対する結果がそこそこ良好なことです。御希望の方にはおよそ8年間にわたってその手法と結果をご覧頂いてきました。 |
法則や常識の矛盾や隙間を探してみましょう。時に、それまで当然のこととして何の疑念も持たなかったことに、ホントかな?と思うことに出会うことがあります。意識して生活すればその回数は多くなるはず、これは思考回路の改善にもかなりの効果があります。いつかささやかな隙間が見つかるかも知れません。
私の場合の目標は、健康上の不可避の理由から短時間軽労働でそこそこの収入でした。
仕事が楽しい、仕事が生きがいという人も大勢いますし、仕事がうまくいかないとか辛いという方もいます。
ひとそれぞれではありますが、仕事から、生活の糧を得る手段という領域を除いた時に残る価値は何でしょうね。
お金のためばかりではないという方も大勢いらっしゃるでしょう。しかし仕事には、楽しく生きるという人生の命題を阻害する要因も多いように思います。そのことで悩む人も多いようです。
そんな仕事ならやめるに限る!とは思いませんか?人生に占める仕事の時間の割合は大きいですからね。
仕事は面白くないは家庭の雰囲気もいまひとつ、夜もよく眠れない、これではヘレンケラー女史もどき、三重苦です。 |
私の生業を支えるものは大数の法則と経験則の複合です。どちらが欠けても成り立ちません。
もちろん運様に背を向けられてはすべてぶち壊しですがそこは友好関係でなんとかするとして、少数の法則は法則に値するか?という問題が生じてきます。
少数の法則は経験則を否定あるいは軽んじているように私には思えるのですが、果たしてどうでしょうか。
多数意見は少数意見に勝ると言うに等しいようで必ずしも正しくないように思います。
その意味でここで言う私の経験則は少数の法則 と同義ではありません。少数の法則は経験則に否定的な意図と否定しきれないという認識が混在しているようです。これを検証したいと考えています。 |
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経験則を法則へ格上げすることが決定的に難しいのはサンプル数の問題です。加えて経験則を是とする成功例が極めて希少なことがあります。成功例の多くに「運が良かった」という言葉がでてきます。これは無視できません。
サンプル数でいえば、自分一人の経験によるものですから10年や20年そこらでは大した数になりません。
大数の法則の説明でよく使われる「完全無欠のサイコロをまったく同じ振り方で無限回振ればこうなる」なんて、理論的にはどうあれ実際にやってみることはできません。そんなこと本気でやりだしたら間違いなく腱鞘炎でリタイアです。つまりそれが経験則の限界で少数の法則とある意味で混同されがちな理由です。
次いで成功例ですが真実の成功例が少ないことは何をとってみても同じです。成功は稀有なものなのです。
莫大な資産を得る成功も、たかだか月40万円程度の収入を目指すのも、それが1日3時間以内月に二十日程度の労務でとなるとその難しさは同じです。違うのは当人の現状と目的に対する考え方だけでしょう。
いずれにしろ経験則を法則とか公式と呼ぶことはできません。
つまり100パーセントこうなるとか絶対こうだといってはいけないわけです。これを言ってはウソになります。
ネット上にはこの手の表現は星の数と見受けますが、厳密にはファールでしょう。人泣かせも多いようです。 |
絶対であることの理論的な証明はできないがごく一部を除けば説明が可能。
そこで、私の経験則、これに「9分9厘の法則」と名付けました。なかなかしゃれた名前でござろうが?
この仕事、私の手法で私が死ぬまで続けてうまくいったとしても、真の法則にはなりません。
それに対する評価はあくまで結果オーライの9分9厘です。
無限に仕事をしてうまくいくことを証明しない限り法則や公式の称号はいただけません。
それは無理というもの!
そんな学者たちの理屈のお遊び(失礼)はそれとしてすごいことなのでしょうが、ここは気を取り直して現実的にいきましょう。ビジネスはギャンブルであるというのは定説です。ビジネスをほかの言葉に置き換えて遊んでみましょう。例えば進路選び
仕事の選択 今月の売上 結婚 こうすれば必ず成功するという方法がなにか思い当たりますか?
では9分9厘ならいかがですか。 |
そんなこんなでおしまいに、お客様のお土産話にでもなればと、下流界を生き抜くための「メシのタネ」の無償配布をしています。これは種です、果実ではありません。そのタネが見つかるかどうかに始まり、それを撒くか捨ててしまうか、撒いたら次に育てる根気が必要です。
これには成果主義的時給の啓蒙活動とあわせて、人畜無害のボチソコの希少動物を絶滅させては情けないとの思いもあります。山猫とかアホウドリ?でさえ保護されているってのにね。それも大金かけて…こんなことですから内容は限りなくランダム、脈絡の欠如した羅列になりがちです。
塾生の学習室には 意味不明のメモ書きや記号などがそこここに我が物顔でころがっています。これらは当方の仕事と遊びのパーツですので、もし入室の機会があったときには無視してくださいますように。
飯のタネ探しなら的中コードに絞ってご覧ください。学習室で探すのが一番と思います。
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効能の中に思考回路の修復を謳っていますが、効果のほどは人によってかなりバラツキがあるようです。改善が著しい人がいる反面、効果がまるで見られない人も少なくありません。私のせいではありませんぞ。くれぐれも誤解なさらぬようお願いします。同じことでもできるできないは人それぞれです。これも有体にいえば能力差という不平等でありましょう。
目標を身の丈に合わせなければいけない所以です。誰もできないことは勿論ですが誰でもできることもよろしくないと思います。これなら人に負けないという目標を持ちませんか。それがあるのが「隙間」です。 |
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三木露風作詞・山田耕筰作曲
夕焼小焼の、赤とんぼ
負われて見たのは、いつの日か
山の畑の、桑(くわ)の実を
小籠(こかご)に摘んだは、まぼろしか
十五で姐(ねえ)やは、嫁に行き
お里のたよりも、絶えはてた
夕焼小焼の、赤とんぼ
とまっているよ、竿(さお)の先 |
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- 赤とんぼ{ねえや}諸説
- 十五でねえやは嫁に行き
お里の便りも絶え果てた
- 「ねえや」は、当然「子守娘」を意味する
- しかし、「ねえや」を「姉」と解釈し、 三木露風の出身地の方言で「姉」を「ねえや」と呼んでいたかを論じた評論家がいる、 とどこかで読んだ。まさか!
- 「十五」について
- 第3節の「ねえや」は十五歳で嫁に行ったと長い間考えていた
- 同じように考えた教科書出版社が、 中学の音楽教科書で第3節を削除したという (だって、現民法では女性の結婚年齢は満十六歳以上だもんね) 話を聞いた.真相は「ねえや」が嫁に行ったのは私
(三木露風) が十五歳のときだったのだ。 露風の母は、露風の幼いときに死んで、「ねえや」が母代わりに育てたらしい.
引用
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