がよくないお金も欲しいあなたに捧げる「運とお金に好かれる」実戦処世術
ようこそ
ここが的中コード の里です
唐突ですがお金のことから
 「運が悪い!」といってしまうとなにかしら投げやりに聞こえます。これを「運がよくない」にするとどうにかならないかなという響きがあります。
 同じようにお金のことでも「お金が欲しい」というとなんとなく切迫感がありますが「お金も欲しい」にすると、お金はその次、少し余裕が出てきます。
 御婦人の口から出ても少しも違和感がありません。下流の中流とは申せ私はどちらも後者でいきたいですね。
のいいひと 「運」という言葉はこういう風に安易に使われがちなのですが正しくないようです。
こんな隙間を見つけておいでになったあなたは運がいい方です。
探してもなかなか見つかるところではありません。
のことですかそれともお金のことですか?
ご期待に沿えるかどうかは分かりませんが、あなたがある程度の判断力をお持ちの方でしたら少なくとも損をなさることだけはありません〜ご安心ください。
また見えてきたぞ一里塚
 これが六五回目か… 年年歳歳 花なんとやら
年年歳歳 私はどうなる…
一里塚 来年もここに来れるかな? IMG波平65回目の1里塚 あと何回かな?! いMGおばさん走る だんだん距離が大きくなる 私だってお金も欲しい

これでよければついておじゃれ!
 めしと時間だけはたっぷりある。
 ないものは欲しがってはならん。
 体に悪いし心も歪む。無益じゃよ

知らない世界
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「今日の運不運」

3月3日
私は普通。なにもありません。
仕事はボトボチ、稼ぎもそこそこ。

小沢騒動
運不運はどちらかにある!
たれこんだのがどっちの陣営かで決まるね。
騒ぎは泥酔から金へ。どもならんね!
西松建設というのは私にとっては懐かしい名前。それはいずれそのうち。

2月26日 今日の私の運不運
仕事はそこそこで運不運何事もなし。

2月22日 
予定通りに仕事をし予定の2割増しぐらいの収入がありました。取り立てて幸も不幸もない一日です。私の生業がうまくいくことを運がいいという人もいないわけではありません。
しかし私にすれば
「的中コード」それは運ではなく9分9厘の必然です。目をつむってサイコロを転がしているのではありませんから。残る1厘が不運との遭遇です。
ここまでであったことはありませんが、絶無でもないところが面白いところです。
緊張感がこれで保てます。
それがなければまことに退屈な単純作業です。
仕事の結果は、どんな仕事でも運とはほとんど無関係でしょう。おおかたは、その責任はお前様に!

2月21日 これはかなりの運不運
病気になったときの医者との出会い
これはおそろしいですね。
何しろこちらに選択肢がありません。セカンドオピニオン、複数の医師に診てもらうということでもなかなか理屈どおりにはいきません。御二人ともいい加減なんて珍しくありません。折を見て私の体験をお話しましょう。
なんだ!?なんて日常です。お気をつけ遊ばせ。
ここでのキーワードは
 「信じて検証」です。根拠のない信頼は
×

受診のベテランが言うことですから間違いはまずありません。ここをご覧になった方は
運のいい方です。

話は昭和60年にさかのぼります。
この年4月私は突然声が出なくなりました。
さぁ そこが人生の分水嶺!
 to be continued

最近の追記 09年2月15日 午後

2月17日の不運もどき
不運なのは国民でしょ!
御本人は不運のうずちゅうの人新KY うずちゅうの大臣
かなり恥ずかしいね
日本を代表する大恥
懸命に探しましたがここに不運の要素はかけらもありませんでした。
 まさか 薬物依存?
1月29日
今日の私の幸運の兆し
予算案が国会で決まった。65歳以上の人には2万円支給されるそうだ。2月1日の時点で65歳以上なそうだ。1月4日で65になった私はこれまで対象外だったのがめでたく有資格者となった。私の意思には無関係、こういうのが運なのかな。私はこれまでうけとらない派としていたが、このプラス8千円で心が揺れまくっている。さて

2月13日
なかなかないものですね、幸運も不運も。
仕事がうまくいったのもそうはいかなかったのも、所詮はいつもの仕事のリズムに過ぎません。つまり半月間は普通でした。なにごともなし。

2月15日
不運と不注意の分かれ道。飛行機は墜落することがあるとすれば乗らないという選択肢がある。そういう人が現実にいるようです。
最近の事例で考えてみましょう。

思考回路を刺激してみませんか?
今日の問題





























































列車事故画像



飛行機事故画像





2月16日
私は機長 その他の乗務員 乗客 住人
などに分けてそれぞれについて考えてみます。 
乗客について
「航空機は墜落する」ということは人間の意志を超越したはたらきかどうかがポイントになりそうです。絶対のらないという人もいますしね。

2/20 今日もありました。マニラ発成田行のノースウエスト航空のジャンボ機が着陸直前に乱気流に巻き込まれた事故で、天井に身体をぶつけるなどしてけがをしたのは39人とか。
機長について
悪天候にもかかわらず着陸を強行しようとしたことは「運」とは違う話では?
乗務員
う〜ん 機長の判断にモノ申すことはできなかったのでしょうかね。多数決?で決めるとか
巻き添えになった住人
これは不運の典型ですね。
to be continued
前段は「運」について お金も欲しい方は後段こちらです。
  先にお金についてご覧になる方へあえてひとこと 
  幸運とか不運とかを考えるのは無益 なことです。
  なにしろ人の力ではいかんともしがたいことなそうですから。
  となればあとは?お分かりですよね!そうです、運は頼むに足るものではありません。

運と不運
 辞書を見ると
imgメガネ 求めても探してもありません,幸運なんて  運とは 人の身の上にめぐりくる幸・不幸を支配する、人間の意志を超越
 したはたらき、不運とはの悪いこと。また、そのさま。
なそうです。幸運も不運もそれを支配する神様か仏さまのおきめになることでひとはそれに対して全く無力だということのように受け取れます。

これを厳格に解した時には、神様や仏さまに人間の意思を汲み取る特別な力でもあるとしない限り、私たちが幸運を願ったり不運を恐れたりすることは全く意味のないことになりそうです。
現実に幸あるいは不幸と思わざるを得ない事象はときに起こりますが、このように運の意味を厳密に当てはめてみると、本当に幸運とか不運といえることは必ずしも多いとは思われません。

つまり人間の意思を超越したはたらきによってではなく人間の意思なり行為によって起きたのではないかと考えるのがつじつまが合う場合が多々あるということです。

2月26日挿入
 飛行機事故は不運ではないI
最近3件の航空機事故がたてつづきに起きました。やはり飛行機に乗れば事故に遭遇することは想定しておかないといけないようです。飛行機には乗らないことですね。命がけでやらなければならないことなんてありません。とはいっても自動車事故と比べて確率的にはどうなんでしょう。
面倒だから車に乗るのもやめませんか?歩きましょう。どうしてもというときは列車、それも各駅停車で参りましょう。とにかく急ぐことは不運の素ですね。

私たちが日常的に使っている「運の良し悪し」という言葉には、結果に対する理由として使われることが多く、特に運がよくなくないというときはそのかなりの部分が「運」に責任を転嫁していることがあるようです。これは運の濫用ですね。
しかし現実にそのような使われ方がされているのですから、それなら辞書のほうも例えば想定外のことが起こることとでも付け加えるとなんとなくわかりやすくなりそうです
「人間の意志」を人類すべてに共通する意思ととるか人それぞれの意思と受け取るかでも考え方に大きな違いが出てくると思います。
私は後者と理解したいですね。そのほうが前向きに生きれるようで…そのうえでその意思の具現に対する能力が考慮されるべきではないでしょうか。そうした場合には
あることに対して、こうしなければと考えてそれを実現できる人がいる半面、そういうことを考えもしないあるいはそうしたいと思いながらしないできない事情のある人もいるのです。
そこから同じような困難に遭遇したとき、ある人にとってはそれが不運であり、他方にそれは想定内のことであったので備えがあり回避できたという相反する結果が起こりえます。
運をこのようにとらえると不運なことにならないためには正しい意思決定とそれを実現させる能力が要ります。
能力には知恵とお金が含まれますが、知恵が働けばお金はなんとかなることが多いでしょう。

そうすると上で申しました「あなたはのいい方」という表現は厳密には誤りのようです。
ボタンの押し間違えで来られた方は運のいい方、捜し求めてたどり着いた方は判断力のある方と訂正いたします。私を中心に考えるとではあります。

宝くじで三億円当たった等はまぎれもなく幸運でしょう。ロト6やサッカーくじトトなども含めてこれらはギャンブル以前のことです。遊びの範囲でやることは結構、でもよく当たるといわれる宝くじ売り場に長時間並ぶなんてことになると黄信号です。
それはが好まない行為です。には好かれないといけません。
これらの類は努力(意思)ではどうにもならないのですから。

幸運はこういう人が大嫌い、しかし不運はこれが好き!
幸運は潔い人が嫌いです。 一見カッコ良さそうに見えますが辛抱が足りない人です。
 しかしこれが不運の大好物です。
 困難な事態に直面した時にいちかばちかの勝負に出る人。
 極端な例でいいますと、明日200万円の手形の支払いがあるが手元には30万円しかな
 い。もはやこれまでと出かけたところが競輪場、ここで一発当てるしかないという発想です。
 私の周りでもそれでうまくいった話が面白おかしく取りざたされたのを覚えています。
 事実あったのです。
 しかしその手のほとんどは憤死したはずです。何しろ一の目が出るか罰か,丁か半かです。
 幸運はこういう人にはほとんど見向きもしません。そのほとんどは不運のお客さんです。 
   運命の原則6条
無防備な人も不運の好餌です。幸運は、これを運不運の問題とはとは考えません。
 台風のさなかに屋根に上がって修理する人、制限速度を超えたスピードで運転する人など
 一言でいえば後先を考えない人ということになりましょうか。
自分は不幸だと思う人
 私は不幸だと思っている人の中にはその原因の幾分かは自分にあることに気付かない人
 がいます。不運はこういう人にも好んで近付きます。何もしなくても勝手に不運のせいだと思
 われるのが快感だからです。幸運はこういう人は避けて通ります。

つまり幸運が好む人とは
どのような局面に至っても最善の活路を求める人。
あらゆる事態を想定して準備を怠らない人。
現状を肯定し、それをよしとしながらも少しでも向上しようとする人。
   人生は今のままボチボチでいいができることならそこそこのお金も欲しいと思っている人。
  こういう人たちを見逃せない、見ると放っておけなくなる。これが幸運の泣きどころ!
  ここを突くと幸運とはお友達、不運の出番はありません。
  これが自称小銭稼ぎの名手「的中コード」のよりどころです。
  ここのキーワードは、何が何でもとにかく「お金欲しい」ではいけません。
  なろうことなら お金欲しい」なのです。
不可避の不運と自己弁護のための不運もどき(. . .)
「人間の意志を超越したはたらき」ということに注目しなければなりません。
これの言わんとするところは分かるのですが、素直に納得できないことがあります。
ひとは千差万別です。その意思はにはおのずとちがいがあるはずです。
あるいは意思は同じでもそれを具現化する(できる)かどうかには個人差があるでしょう。
単純に「人間の意志」を語るわけにはいかないのではないかと思われます。
簡単な例を挙げてみます。
あるそこそこの会社に同期で入社したAさんとBさんがいるとします。
そのその二人が勤めている会社が倒産しました。
Aさんはほどなく再就職し、以前とさして変わらない生活をしています。
他方Bさんは再就職もままならず「ついてない」とか「運が悪い」とぼやいています。
Aさんは会社の現況とか将来性などを常に考えていたかも知れません。
そうであったら、まさかの時に備えての学習もしていたでしょう。
Bさんにはそれがなかったかも知れませんね。

不運でかたずけるには無理のあることがたくさんありそうです。
よく言われる「運がよくない」の中には人知で乗り越えられることが数多(あまた)あるように思われます。そう考えると本当に「運がよくない」事態はかなり限定的になりそうです。

不運を撒き散らす自然災害、遭遇すれば確かに不運、されど
阪神淡路大震災でひと、ものに多くの犠牲が出ました。
この地震で影響を受けた人たちは確かに不運でした。一言で言うとそうなりましょう。
今月17日14年を迎えた阪神淡路大震災、これについて私の実体験を例にお話します。
このとき私の長女は大学4年生、それも神戸にある女子大でした。
さらに住んでいた場所は最悪の長田区でしたが、結論からいえば娘は全く無傷で帰ってきました。後日部屋の整理などのために現地に行きましたがそれは目を覆いたくなるものでした。
娘が住んでいた建物の周囲の建物はほとんど倒壊していたのです。
これは私たちにとっては幸運だったというべきことでしょうか?
彼女がここに住むようになった経緯です。
入学してから一定期間は寮に入ることが許されていたのですが、でなければならない時を迎えました。私としてはできれば安いアパートにしてもらいたいという気持ちがありましたが、本人は「きれいなところでないといや」のいってん張り。その結果入居したのが新築の建物でした。そしてあの地震、極端にいえばそこだけが無傷で残りました。
さて
私と娘あるいは双方がこの事態をも考えて新しい建物を選んだのなら、それは必ずしも運が良かったとは言えないのかも知れません。何処に住もうが地震があることは想定できます。
ですから住むところは可能な限り安全にということは常識と言われればごもっともです。
しかし私たち親子の意思決定の要素はただ一つ、娘は自分の意思(きれいなところ)を押し通し、私はまぁいいかとしたにすぎないわけで、そこに防災の意識などありませんでした。
結果から見てその選択は幸運でした。が、かようなことでも人の意思によってはときに被害を軽減できるとなれば運の問題ばかりではなくなると思いませんか?

余談になりますが、倒壊した建物の多くは古い建物だったという事実もあります。
地震の予知にお金をかけることを否定はしませんが、いつかは来るものならそれに対する備えが優先でしょう。それにはお金がかかりますが、お金持ちもそうでない人にもとにかくあわせて二兆円差し上げます、それにかかる費用が八千五百億円というすごい政策の前にやることはないの?
こんな疑問符を投げかける理由にもなりそうです。消費拡大もいいでしょうがお金をかければ避けられそうな不運がたくさんありそうです。

だめおし
亭主運が悪い 女房運がよくない よく耳にすることがあります。
でもこんなことで運を持ち出すのは運様に失礼! 
 
亭主や女房に置き換えてみたい言葉いろいろ。
上司 仕事 友人 異性 親 兄弟 子供 選択、勝負 大きく出て人生
 それについてのプレゼントの言葉 その原因の多くはお前様にもあるのでは?

よく聞く言葉「運は自分で切り開くもの」はここから来るのでしょう。
しかしここで使われる「運」
これも自分の意思で出来ることとすれば正しくは「運」ではありませんね。人生とか目標あるいは幸せというほうが正しいように思われます。

ここで改めて運について考えてみましょう。
運の善し悪しは平等でも均等でもありません。同じ事象でもそれが真に不運だった場合とそうでないときがあります。その分かれ目がその人の意思、このページが分水嶺。

リストマーク NEW 最近の例で考えてみませんか?
2月13日ニューヨークで乗客乗員49人を乗せた旅客機が着陸寸前に住宅地に墜落し巻き添えになった住人一人を含む50人がなくなったという事故がありました。
これはどう考えればいいのでしょうか。私も考えをまとめてみます。ここを通りかかった方も何かの御縁。一緒に頭をひねってください。

幸せと不幸せ
IMG飛行機事故これは多分に主観的なことのように思いますね。
美しくないから不幸せ、だからお金をかけて整形手術。多いんなそうですね。
当然という人もいるでしょうし、ちょっと違うという方もいるでしょう。
私の考えは単純です。今の状況を肯定しながら無理をしないで少しでも向上しようとする人は幸せ、理論的(物理的)に手に入らないもの、加えて倫理的に求めてはいけないものを欲しがる人は不幸せあるいはそれとと隣り合わせ。
私としては顔とか体形などいわゆる見た目は後者のように思います。何時かは容
姿での勝負など論外というときが誰にでも来るはずですから。

それよりなにより子は親に似るものです。それこそが避けられない
少しでも親に似ていればそれで幸運としませんか?
ちょっと見た目を変えても中身は同じDNA、ナノでは?
ただし吉永小百合だけは別です。しわを伸ばそうが何をぬろうが私は死ぬまでサユリスト。

ふざけている時ではありませんでした。よろしければこちらを これが本筋です。 

そうでしたお金のこと
 正攻法でお金を手に入れる方法といえばこの三つぐらいしかありません。
  1.借りる 下流の人に借金は似合いません。たいていは借りたらおしまいです。
  2.もらう  様々な条件はありますがそこそこの金額なら可能です。
          公開はしませんが。折を見てヒント程度は書き加えるつもりです。
          興味おありの方は直接お問い合わせください。
  3.代償を払って手に入れる 仕事をして報酬を得るのが代表格です。
 

 3なら学習次第でできないことはありません。
月に最大でも60時間程度の仕事で40万円ぐらいまでは可能です。
しかし大儲けはここではできません。
前に申しましたが、とにかく「お金欲しい」という方にはおそらく不向きでしょう。
何かしらの理由があって、体力がないとか外に出て仕事がしにくいというようなひとが
ボチボチ仕事で「お金欲しい」というときにはいいかも知れません。
それでよければどうぞご覧ください。

誰でも出来ますとは請合いかねます。
何をするにも応分の能力は要りますから。
あなたもできる!?かどうかは二十日もあれば自己診断できます。
与えられた設問に対して自分で答えを出してそれを自分で採点するのですからまことに単純です。
これ自体は難しいことではありません。
これを恣意的に操作することなど誰にもできません。
その結果に疑問を挟む余地は全くないわけです。

よく見かける誘い文句「誰でもできるいい仕事」などとは次元の違う話です。
当たり前のことですが問題はあなたの答えです。
結果を見て検討すればいいことですが
それはそれとして考えるだけでも面白いと思いませんか。
興味を示す、そして面白がる、それができる人は幸せだと思います。

その結果、もしあなたもできそうだという診断をあなた自身が出したらどうします?
考えるのはそれからでいいのです
しかし実際にお金を稼げるようになるには最低でも半年ぐらいは実務訓練を重ねないと難しいでしょう。小銭の世界とはいえここもそう甘いところではありません。
御希望の方にはその日の実際の仕事ぶりをご覧頂いています。
  
感心できない動機での申し込みを避けるため人数の制限をしています。
そのためお待ちいただくことがありますが悪しからずご了承ください。

昔は名馬、今は駄馬
今も昔もエリートとかサラブレットなどと呼ばれた(今もそうである)人たちがいます。
世の変遷につれ、昔は名馬と呼ばれましたが今は駄馬(..)、役立たずとまで言われる人たちが大勢いるそうです!
人に対する評価の物差しが変わったのです。
昔とは言ってもさほど前のことではありません。その良き時代には何につけ、
特に、困難な事態や前例のないことについては絶対に判断も決断もしないあるいは先送りする、つまり勝負しない人が名馬といわれました。決断してそれを実行するとなると結果責任が問われます。しかし、これですと失敗も負けもありません。当然のこととして責任を問われることもありません。こういう人だけが出世しました。
つまり責任を負うことはしない(うまくやる)人がリーダーでした。
「無事これ名馬」 社会を上手にわたる基本だといわれ、組織もまたそういう人を求めました。
しかし、これでは御当人は言うまでもなく企業(組織)にとって成功とか勝ちの判断資料がありません。連帯責任ならぬ連帯無責任の時代が続きました。それが今…様変わり、世界中が残されたパイの争奪戦となりました。
企業は言うに及ばず自治体から国まで何もしない人の集まりではもたなくなりました。信賞必罰といいますかいわゆる成果報酬、実績に応じた待遇に変わりました。(今のところは公務員を除いてですが夕張の例、大阪府などの動きもありますから注目です)
それは身近な人たちにも
 駄馬も走れば名馬です。
工場で以前は単純作業とかパーツとか言われていた仕事もいまではそんなことでは務まらなくなりました。
コスト削減、作業時間の短縮などに知恵を絞らないと工員さんも生き残れません。
もちろん絞るだけではいけません。少し前までは考えている素振りでよかったのですが、今日では結果を求められます。
これらはすべて世界の人口が増えたためです。押し並べて能力レベルも上がりました。それによって手にできるパイが減ったのです。
企業は言うまでもありませんが個々人もしかりです。
もう知識や情報に頼る時代ではありません。知恵の時代なのです。学者先生の言葉です。

「ピーターの法則」 ご存知の方も多いと思います。
  • 能力主義の階層社会に於いて、人間は能力の極限まで出世する。すると有能な平構成員も無能な中間管理職になる。
  • 時が経つに連れて人間は悉く出世していく。無能な平構成員はそのまま平構成員の地位に落ち着き、有能な平構成員は無能な中間管理職の地位に落ち着く。その結果、各階層は無能な人間で埋め尽くされる。
  • その組織の仕事は、まだ出世の余地のある、無能レベルに達していない人間によって遂行される  というものです。 ウィキペディア
SONYこれからもさらに便利なものを作ることを考える。
     そうすれば必ず会社は立ち直ります。
ソニーが正社員の削減を発表したすぐ後での社員の言葉です。
そんなものざらにあるものではありませんし、求める人もいるかどうか?
これがひとはいずれ無能レベルに落ち着くということです。
100メートルを8秒で走ろうとするのとさしたるちがいはなさそうです。

戦いにやぶれた高機能ノートパソコンノートパソコンで高機能競争に血道をあげ高価格戦略を進めていた日本のメーカーの考え方もそのたぐいです。その結果徹底して機能をそぎ落として2万円台まで価格を下げた台湾メーカーにあっさりと市場を奪われてしまいました。

このページは小さい知恵のヒントを提供します。常識とか固定観念とは無縁のお話です。
キーワードは「物事は理屈に従う」と「無理はしないがお金も欲しい」のふたつです。

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ビジネスは基本的にはギャンブルである
多くの学者たちはこういいます。
理由は予見不能な事態に遭遇する可能性を常にかかえているため。
このことは、これに「社運を賭ける」とか、「彼に成果を賭ける」などの表現からもうかがい知ることができます。勝つための理論は出尽くしました。そして少なくとも公開された必勝法で勝ったという話は聞いたことがありません。勝つというのは下で述べる定義でということです。古今を通して無数の必勝法なるものが出ては消えました。
「賭けごとに必勝法はない」 確率を論じる学者などはにべもなくこう言い切ります。これが結論です。勝つための法則とか公式は存在しない、これは否定できません。
咋今の世界の状況からもよく分かります。
勝つということ ボチボチそこそこレベル編
まず半年とか一年という期間を定めます。次にその間の利益の目標を設定します。
この目標は個々の事情で異なります。年金だけでは足りないのでそれを補いたいという人は月に五万円ほどとか、外に仕事で出かけることができないのでせめて15万円ほどあるいは私たちのように生活の糧をすべて賄うためになど様々です。その目標がいくらであれ通期でその目標を達成すること。そしてこれが継続することです。それができたときが勝ったということになります。
ビジネスはギャンブルつまり賭けごと、勝負事であるとして
 昨今の経済状況を見ればビジネスはギャンブルだということをよく理解できます。企業自体が賭
 けごとをしているのですから、そこに勤める人たちも運命共同体です。
 勤務先の衰退によって仕事を失うことなどは日常的なことになりました。
賭け、その道の権威渡辺隆裕さん(首都大学東京 社会科学研究科 経営学専攻 教授)のご意見を紹介しましょう。
例えば、競馬でほぼ確実に勝ち馬を推測する方法があったとしましょう。もし全員がその方法を知って勝ち馬を予測すれば、オッズ(賭けの倍率)は1倍まで下がってしまいます。もちろん、競馬を当てるという意味ではこうなっても「必勝法」かもしれませんが、儲かると言う意味では、もはや「必勝法」ではありません。麻雀も、もし必勝法があるとしたならば、全員がそれを実行したならば、配牌の違いだけに依存するために、全員の期待値は同じとなるはずで、「必勝法」ではなくなります。

注目したいのは、Edward Thorpと呼ばれる、有名な数学者の例です。彼は数学者であり、現代で言う金融工学の研究者であり、なおかつギャンブルの天才でした。彼は、ブラックジャックに勝つ方法として「カウンティング」という方法を研究し、遂に必勝法(期待値が正になる賭け方)を探し出しました。が、カジノ側はこれに対抗してブラックジャックのルールを変更してしまったそうです。(谷岡一郎「ツキの法則」から引用。e.Thorpのカウンティング法についてはE.Thorp自身の著書「Beat The Dealer」を参考にして下さい。)
言いたいことは、ギャンブルの必勝法は、その人一人が知っているときは必勝法となりえるが、その方法が公の場で公表されれば、それは「必勝法」ではなくなるだろう、ということです。その理由から、このようなインターネットサイトで公開されたり、本で出版されたり、「科学」の名のもとに公表され検証されたりするようなギャンブルの必勝法はないということです。私の母は、よく「ギャンブルに必勝法はないよ。そんないい方法があったら、人に言わないで、自分でこっそり実行しているよ。」と言っていました。この言葉はギャンブルの必勝法をよく表しています。
 ここまでです
法則や公式がなければ絶対勝てないでしょうか?
答えはノーです。
9分9厘勝つ方法があります。それを可能にする要素は二つあって一つは確率に対する考え方、もう一つは感性経験則)です 前者のウエートが70%、後者が30%ぐらいと見ればいいと思います。
確率だけに頼れば上でご紹介した渡辺さんの言われることは正論です。
いわゆる必勝の法則はないのですが、しかしもう一つの要素である30%の感性が身につけば結果はまるで違うものになり得るのです。

ここから導かれたものが本塾の的中コードです。
渡邊さんのお母様がおっしゃったという言葉はそのとおりです。勝つ技能を会得した人がそれを公表することはあり得ません。
極言すれば公表された必勝法にはすべてよからぬ背景(意図)があると考えるべきでしょう。
前に実際に出た問題を教えますといいました。これについて答えを言う場合はありますが、その道筋を教えることは一部の方以外にはいたしておりません。ご自分で考えるのが最良の楽しみ方だという考えからです。
このサイトは勝ち方(お金儲け)の方法を教えるという趣旨ではありません。難しい、できるはずがないと思われることでもやり遂げるという気持ちがあれば可能になるということを申し上げています。それについて私の体験で述べているだけです。難しいことの良さは競争が比較的少ないことです。
その分野が何であれ、つまりあなたが何を目指しているにしても基本は「理詰め」だと私は考えています。ですから目的は何でもいいのです。どうしたらそれ(目標)が達成できるかを考えるお手伝いに少しでもなればと思っています。このページの作成はは私の生業がそこそこうまくいくための学習になります。基本は「なんにでも興味を持って面白がる」。
もしお時間が取れましたら、現在の私の挑戦 空中戦 などご覧いただければしあわせです。


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