どん詰まりに陥る原因はさまざまですが大別すれば |
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偶然見つけたある本の編集後記。読んでないので中身はわからんが大したことは書かれてないはずだ。 人の挫折に乗じて本でも売って金儲けしようなんて魂胆がよろしくない。とは思うが 下で赤と青で太字にした部分はそのとおりだ。 これが分かれば生きられる。私のサイトはこのこの実体験を羅列しておる。 この本を買い求めてその中の登場人物と悲惨の度合い比べろと作者は言う。がそれこそが人生を誤る考え方だ。 下を見れば君がいる、人の不幸は蜜の味的な考え方は応援歌などという資格はないと私は考える。 ひとさまと比べるな、ないものを欲しがるな。自分が好きなことをして生きていこうと言いたいね。 |
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「立ち直れなかった人」は、いったいどこがいけなかったのだろうか。 この本の多くの例が示すように、自分が白分の人生の主人公であることを知り、自分の人生を意味づけることができた人は、さまざまな形で、「復活」をとげている。そうでなかった人は、失敗しているのである。 かんたんにいえば、"自分の人生に意味づけをするのは自分である""運命とは自分で切り開くものだ"ということに気がついた人は、立ち直ることができた。 たとえ、どんなに大きな不満・怨念を抱いていても、それだけでは立ち直りのエネルギーになりえない。自分で自分のおかれた状況を客観的に認識し、常識とはちがう価値観があることを知り、未来をイメージし、未来と現在とをつないで行く。どのような苦労や辛酸も、"自分という物語"を描くための必要な場面としてうけとめ、物語を発展させて行く能力。それが、立ち直るために必要なのだ。 苦労も辛酸もない人生は、深さに欠ける。モノトーンで、退屈でさえある。乗りこえる力をもつ人は、苦労や辛酸にも、意味を与えうる。 人生は、あばれ馬に似ている。あぱれ馬を乗りこなしてこそ、"馬に乗った"といえる。 困難な人生を乗り越えてこそ、”人生を真に生きた”といえる。 いま、どのような絶望的な状況にある人でも、この本の登場人物のフランクルや司馬遷ほどには、悲惨ではあるまい。その意味で、この本が「人生に絶望している人への応援歌」となることを願っている。 |