時間長者
ここは、勝手にSOHOのさきがけを自認する波平塾の業務日誌を兼ねた備忘録です。
主題は、ひとり親方で自称時間長者こと運之波平がおりなす「時給生活」のささやかな
狭義?
これは売り物ではありません。無論買い手もありませんが。
この波平長者、「
ボチボチ働きそこそこ暮らす」
ぼちそこを処世訓として深〜く信奉する希少動物であります。
中期高齢者層に属し、結核による3度の長期入院を経験したあと、現在は糖尿病、慢性胃潰瘍などなど病気のエキスパートとしてお医者さまも一目置く存在です。この前の人間ドックでは{いつ倒れてもおかしくないよ」というおほめの言葉までいただき入院を強く勧められました。
それでどうしたか?私は病院を代えました。2か所いきましたがどちらでも入院の必要なしですと。
どちらが名医やら?ちなみに中性脂肪は577.5H。なかなかのものなようですが私の対策は気にしないことですね。
結核による療養当時、考えましたね私は。これだけ入退院を繰り返していては世間さまが相手をしなくなります。
退院できてもまたという恐怖があります。そこで療養という暇にまかせて
入院していてもできる仕事はないか
体力のないものが一生できるように短時間の軽労働でそこそこ暮らせるような仕事はないか
元手の要らない仕事はないか
ひとりで自分のペースで出来なければいけない
こんな仕事を見つけることに没頭しました。これらをすべて満たす仕事でなければ手が出ません。
3回目の再発のとき私は病室で今の仕事を始めました。パソコンが大きな戦力になりましたね。これも時の運。
時代が応援してくれたのだと思います。病気が結核というのも幸いしました。最初の入院時は喀血などで苦しみましたが2回目からは痛くもかゆくもありませんでした。菌が出ているというだけで強制入院。医療費の自己負担なし。今はどうか知りませんが当時は食費も無料でした。おかげさまで学習に没頭できました。こんなことも運が良いととると気持ちが和みます。
運様が好むのは現実(現状)を認めて肯定的に受け入れる人のようです。受け入れるだけではなく、それなりに可能な目標を持って努力を続けることが大切です。前を向いて精進をする限り運様に悪さをされることはありません。運が悪いと思っていることが実は自業自得であることはよくあります。
私の人生で後にも先にも一番真剣な時期でしたね。何しろ自分の人生がどうなるかの瀬戸際でしたから。
当時は結核病棟も患者にはおおらかで我儘を認めてくれました。たばこの自販機や喫煙所も完備。
これには感謝です。当節の病院では許されないでしょう。その意味ではいい時代でした。
そして今、無年金同様ながら、それをさして苦にすることもなく自らを
下流の中流と位置付けています。課題は健康を保つことです。私の健康法は健康法を考えないことです。強いて挙げれば土光さん的食事と適度なお酒ぐらい、それとたばこを少々。
その日暮らしなどと笑うべからず、人の生き方はさまざまです。社会学的?に見れば当節では当たり前になった成果主義、能力主義的報酬制に先鞭をつけたといえなくもありません。前例にこだわらず決断する、勝負に出る。
決断しない、行動も起こさない。無事これ名馬といわれましたが昔の名馬は今は駄馬。冗談です。
下流の中流のお仕事、惜しむらくはその話のスケールが小さいことでしょうか。
人生は片道切符
この言葉が身にしみて寒々しく感じるときがあります。
こんなことならはじめから下流界の中流人になることを目指せばどんなに楽だっただろう。
生まれ変われるならそうしたいものだと躊躇なく思います。
学生時代牛乳配達で糊口をしのいだことに悔悟の念すらもありますね。
そんなこんなで長い間生きてきた自分を自己評価してみました。
それほど馬鹿ではないがあまり賢くもなし利口でもない。
総合点は
中の下 と出ました。確かに、気の利いた人はアルバイトに牛乳配達はしませんね。
「泣いて暮らすも笑うのも、男の心の置き所」なそうです。だから私は心を「ボチボチそこそこ」に置くことにしました。
これで泣いて暮らすことだけはありませんが笑ってばかりいられるものでもありません。時に不愉快、ある時は憮然 できるだけ表に出すまいとしているだけ。これも慣れてしまえば苦になりませんから人間は訓練でいかようにも変われるもののようです。