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理論的、物理的に手に入れることが不可能、加えて倫理的に求めてはいけないないものを「欲しがってはいけない」が持論でそれが幸せの素だと思っています。裏返せばそれを欲しがる人には不幸せと背中あわせの危うさを感じるのです。
上流にさえ、欲しがってはいけないものを欲しがって,、下流など素っ飛ばして一気に奈落へ落ちる人がいっぱいいます。倫理と法律の垣根が見えなくなるせいでしょうか。真の属性は上流属にあらず、しいていえば上流もどき属かな?最近よく聞きますね、こういうご仁の話。ピーターの法則の言う無能の評価から逃れるためなのか単なる物欲か分かりにくいところです。 |
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他人様はどうあれ私自身で見れば実に単純明快です。
みんながあこがれる年金はほとんどありません。これはどうしても手に入れることが不可能なこと、だから欲しがらない。不可能なことを求めてうまくいくわけがありません。こんなことはず〜っと前から百も承知のことです。
ならばどうする?
これだけを考えればよろしいかと。私もある時期からこれに焦点を絞ってきました。もし同類項的御同役がいらっしゃれば嘆く合間にでも御一考なされませ。それはそれなりに楽しい作業です。
この結論は考えるまでもありません。生涯現役、死ぬまで仕事です。
それができるような仕事を身につければいいのです。 |
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そうは言ってもねぇ
病気になったり介護が必要な状態になったらどうするか?多くの人はそう考えます。確かにそれはあります。私はこう考えています。そうなったときはわが人生そこでTHE
END!
寝たきりでお国のお世話で生きるつもりはありません。おむつをして情けない姿で生きる気力もありません。
そう、こうなったときには終わりにするという基準をつくっています。死期を悟った象は山奥深く入ってその時を迎えるという話の古い記憶が鮮明にあります。私の理想です。それについては心構えだけではなく準備が必要です。
深刻そうな感じにも見えそうですが、誰もがそう思えば今の時代の悲劇はかなりなくなります。
これは議論の対象ではありません。
私はそれでいいのだ!問題はその時の判断力の有無ですね。
しかしそれも考えようです。何も分からなくなればそれはそれなり、知らぬ存ぜぬです。
そうなれば恥も外聞もないわけで、生かされるもよし死ぬもよしでしょう。そう考えればオールニッポンの関心事老後など何の心配もありません。五体全く不満足まで大丈夫。 |
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ロマンチスト
言葉は「凛として」とか「楚々として」を好む夢追い人。3人いる娘の一人には凛と名付ければよかったと悔やんだりした時期もありました。なぜか、「そそ」という発想はでてきませんでしたが。どうした?しかしいまや三十路を過ぎた娘たちの中に凛としたところも楚々とした風情も見出すことはできません。今にして思えばそれでよかったのだということなのでしょう。小言の多いお凛さん、めったに掃除もしないお凛さまではしゃれにもなりません。 |
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ひとにはそれぞれ「器」という壁があります。
いささか無念でありますが、これが私の器の限界です。
しかしものは考えよう。身の丈に合わせて暮らす、それが自分で作れるセーフティーネットだとも思います。
仕事と気ままな暮らしを天秤にかけて後者を選ぶような希少動物の生業の限界ですね。
とはいえさまざまいるからおもしろい。みんなニコヨン(今風にいえば非正規労働者かな?)でもいけません。さればと言ってすべて東大出の高級官僚というのもまことに不自然。
上流と中流そして下流のバランスがとれてこそみ〜んながそれなりに幸せなのです。
されどここでも「ないものを欲しがってはいけない」ことは上中下いずれの階層に属していても不可避の条件でありますぞ。
異常発生、お金のためなら何でもやる人々
今日もありましたね、元厚生官僚が退職して美容外科を開業して診療報酬をだまし取ったとか。NHKのプロジェクトXの元プロデューサー氏が万引きで捕まったとか。前者は役人時代にはそういう医療機関を監督する立場だったとか、ばれている部分がおよそ百万円、元プロデューサー氏にいたっては七千円だとか!いい歳こいて何やってんだ〜 12月1日加筆 |
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